LIFESTYLE「ウェルビーイングをめぐる旅」特別対談
わたしたちのウェルビーイングについて考える
November 30, 2022

肉体的、精神的、社会的に満たされた状態のことを指す「ウェルビーイング(well-being)」。近年注目されている概念として、関心を持っている方も多いのではないでしょうか。

「ウェルビーイングをめぐる旅」は、発酵活動家として幅広く活躍中の田中菜月さんが、自分らしい生き方を実践している方たちとの交流を重ねながら、ウェルビーイングへの理解を深めていく連載企画です。今回はウェルビーイング研究の第一人者として活躍中のお二人で、発酵活動を通じても親交のあるドミニク・チェンさん、渡邊淳司さんとの対談の様子をお届けします。

田中菜月Tanaka Natsuki
発酵活動家、Well-Traveling YouTuber。料理教室やオンラインサロンの運営を通じて、発酵文化を楽しく、美しく、面白く発信中。著書に「ゆるくて幸せな発酵生活」がある。
ドミニク・チェンDominique Chen
情報学研究者。早稲田大学文学学術院教授。人間とテクノロジーの関係や、コミュニケーションの研究者として活動中。
渡邊淳司Watanabe Junji
NTTコミュニケーション科学基礎研究所 上席特別研究員。人間の触覚や、触れる感覚を通じた人と人とのつながりについて研究を重ねている。

お互いの価値観を理解し合うことが
ウェルビーイングの第一歩。

菜月さん
ウェルビーイングという言葉は知っているのですが、実はその意味はよくわかっていません。ウェルビーイングとは一体どのような概念なんでしょうか?

渡邊さん
ひとことで言うなら「その人にとっての『よい』あり方」「その人の存在自体を大事にすること」でしょうか。やや極端な例を出すと、100m走は100mをより速く走り、ゴールした人が勝ちという競技です。当たり前ですが、時間という物差しだけで優劣をつけます。しかし、それを「あなたがウェルビーイングを感じるように100m走ってください」と問うとどうでしょうか。それぞれの人の価値観や経験によって『よい』は異なるので、ゆっくり走る人や、誰かと話しながら走る人、さらには踊りながら走る人や逆立ちしながらゴールに向かう人もいるかもしれません。もちろん従来通りに、速く走ることを重視する人もいるでしょう。このようにウェルビーイングは、人それぞれ固有のものになります。

菜月さん
なるほど。それは、大事にしていることが一人ひとり違うからですね。

ドミニクさん
ウェルビーイングを考えるうえで大切なのは、相手にとっての良いあり方に目を向けられるかどうかだと思っています。そのためには「あなたにとってのウェルビーイングは何ですか?」と互いに話し合い、理解し合うことが不可欠。目の前の人と意見が異なるからといって「あなたとは合わない」と対立するのではなく、別の価値観があることに純粋に驚き、心を開いていく。そうすることで、自分自身も、相手との関係も、よりポジティブに変えていける可能性が生まれるのです。

渡邊さん
ウェルビーイングへの理解を深めるために、その反対の状態、つまり「イルビーイング(ill-being)」についても考えてみましょう。イルビーイングとは、病気や怪我などで、心身の状態がすぐれない、機能が損なわれた状態のことを指しますが、それらを解決するための方法論は、特に医療という意味ではある程度確立されています。

菜月さん
イルについての答えは大体決まっているけれど、ウェルは人によって答えがバラバラなんですね。

渡邊さん
特に、ウェルに関して、その方法論にあまり目を向けられてこなかったということもあるかもしれません。人それぞれ固有のウェルには最終的な正解がないからこそ、考え行動し続けることが重要です。そうすることで、ウェルビーイングの捉え方や生き方にそれぞれの実感であったり、社会の中での多様性が生まれてくるのだと思っています。

自分にとって大切なことは、
明日変わってしまってもいい。

菜月さん
お二人の話を聞きながら、ウェルビーイングについて話し合うことが、すでにウェルビーイングなんだと感じています。

渡邊さん
まさにその通りです。実は今日、NTTの研究所でつくった「わたしたちのウェルビーイングカード」*というツールを持ってきています。参加者は全部で32枚のカードの中から、自分のウェルビーイングにとって大事だと思う3枚を選びんでもらって、その理由や背景を他の参加者に共有してもらうのですが、実際に体験された方の多くから、「普段は話すことのない、お互いのウェルビーイングについて話し合うことができた。その時間がウェルビーイングでした」という声がありました。

*「わたしたちのウェルビーイングカード」のリンク。一覧もDL可能です。https://socialwellbeing.ilab.ntt.co.jp/tool_measure_wellbeingcard.html

わたしたちのウェルビーイングカード©︎NTT

菜月さん
こうして言語化できると、表層的ではなく深い部分で、自分の大切なことを共有しやすくなりますね。それこそ、イルについても理解し合えそうです。

ドミニクさん
菜月さんはどのカードが気になっていますか?

菜月さん
いまの私が選ぶとしたら、「自己への気づき」「関係づくり」「平和」になりますかね。でも、今後環境が変わると、大切にしたいことも変わっていきそうな気がします。

ドミニクさん
自分自身にとってのウェルビーイングは、日々変わっていくのが当たり前だと思います。たとえば最近の私は都心にいるので「自然とのふれあい」を求めていますが、自然豊かな場所を訪れた後だと、この考えは変わっていると思います。

「わたし」ではなく
「わたしたち」という視点に立ってみる。

菜月さん
ウェルビーイングは、自分自身のことだけではなく、誰かとの関係性の中にあるものではないかと思い始めてきました。

渡邊さん
「わたし」ではなく「わたしたち」という視点で考えることは、すごく重要だと思っています。この「わたしたち」という言葉は、ドミニクさんとウェルビーイングについて研究しているときに大切にしたいと強く実感した言葉でもあるんです。

ドミニクさん
実際に渡邊さんとは、「わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために」という本を共同で監修・執筆しています。

渡邊さん
人は、結局のところ一人では生きていくことができません。ですから「わたし」のことだけを考えても、うまくいかないことが多いと思います。そこで視点を少し広げて「わたしたち」で考えてみる。自分の周りの家族や友人を含む全体としてのウェルと、自分のウェルを行き来して、バランスをとる必要があるのだと感じます。

菜月さん
「わたしたち」という視点は、発酵に触れる中で私自身が感じたことと重なります。私は発酵と出会ってから、心身がものすごく満たされたのですが、そのときに「周りの人にもシェアしたい」という気持ちが湧き上がってきて、個展やワークショップを開こうと思ったんです。そのときに気づいたのが、発酵は一人でやるよりもみんなでやったほうがハッピーだということ。準備や仕込みは断然ラクになりますし、出来についての感想も共有できて、すごく楽しいと実感したんです。「わたし」だけだと、途中でつらくなっていたかもしれません。

渡邊さん
現代社会の働き方にも通じる部分がありますね。たとえば管理職の方は、仕事に対する責任を持つ立場なので、最後はすべての責任を引き受けがちです。すると、「誰も助けてくれない」という思考に陥ってしまうケースもあります。そんなときに、一緒に考えて寄り添ってくれる人がいる、あるいはチームがあるというのは、救いになると思います。

ドミニクさん
コロナ禍に入って人間関係に悩む人が増えているのは、リモートワークやオンライン授業が主流になって、チームとして空間や空気を共有しづらくなったからだと感じています。

菜月さん
こうした悩みやプレッシャーを解消するためにも、「わたしたち」や「チーム」という視点を持つことは大切ですね。

ドミニクさん
「わたしたち」という視点は、時間や空間を超えることもあります。たとえば研究者やものづくりに従事している人が、100年先に成果を残したいと考える。すると、100年後の誰かとのつながりを意識することができ、「わたし」だけじゃないと感じられるのではないでしょうか。

菜月さん
私もいま「100年ぬか床」を育てているのですが、100年前の人も同じことをやっていて、100年後も続いていくんだと思うことがあります。
お二人と話をする中で、「わたし」だけじゃない、さまざまなつながりの中に「ウェルビーイングのかけら」が含まれているんだと感じました。ウェルビーイングへの理解が深まったことで、ここから始まる「ウェルビーイングをめぐる旅」が、ますます楽しみです。
ドミニクさん、渡邊さん、本日はありがとうございました!