LIFESTYLE「ウェルビーイングをめぐる旅」第1話
縁に感謝しながら、日常を大切に生きる
November 30, 2022

発酵活動家の田中菜月さんが各地を旅し、さまざまな人と交流を重ねながら、自分らしく生きていくためのヒントを見つける連載企画「ウェルビーイングをめぐる旅」。最初に訪れたのは、「棚田100選」に選出されている「畑(はた)の棚田」で知られる、滋賀県高島市の畑地区。この地域で200年以上も前からつくられている「畑漬け」は大変希少で、「幻の漬物」とも称されています。今回お話しを伺うのは、その数少ないつくり手であり、菜月さんとも親交の深い澤井君子さん。澤井さんはこの地で、どんなことを大切にしながら暮らしてきたのでしょうか。その日常を取材しました。

田中 菜月Tanaka Natsuki
発酵活動家、Well-Traveling YouTuber。料理教室やオンラインサロンの運営を通じて、発酵文化を楽しく、美しく、面白く発信中。著書に「ゆるくて幸せな発酵生活」がある。
澤井 君子Sawai Kimiko
20代の頃に畑へと移り住んで以来、60年以上にわたって「畑漬け」をつくり続けている。好奇心旺盛で、人とのご縁を大切にしているおばあちゃん。

「幻の漬物」をつくり続けたことで
生まれた不思議な縁。

滋賀県の北西部に位置する高島市。琵琶湖を西へ離れ、山間を進んだ先に、美しい棚田に彩られた畑地区があります。この風景を一望できる場所に、澤井さんの住まいはありました。

「おばあちゃん、久しぶり!」と菜月さんが呼びかけると、澤井さんも「なっちゃん、よく来たなあ」と笑顔で迎えます。

まるで本当のおばあちゃんと孫のように仲の良い2人。菜月さんが滋賀の暮らしの中に根付く発酵文化を学ぶ最中、知人を介して知り合ったのが最初の出会いだったそう。そして、澤井さんが漬けた「畑漬け」の味に感動した菜月さんは、それ以来何度もこの場所を訪れるようになったと言います。

「畑漬けを一口食べるなり、『弟子にしてほしい』と言われて。変わった子やなあ、と思いました」と楽しそうに話す澤井さんにつられて、菜月さんも思わず笑います。

「畑漬け」は、「唐辛子漬け」とも呼ばれ、その名の通り唐辛子を漬け込んでいるのが特徴です。7月頃から翌年の4月頃までの期間、その時々の野菜を漬け込んでいきます。気候や風土の影響が大きいのか、畑地区でしかつくることができず、また冬以外の季節は毎日朝方と夕方の2回かき混ぜる必要があるのだと言います。こうした特殊性から、現在ではつくり手がほとんどおらず、やがて「幻の漬物」と呼ばれるようになりました。

この希少な「畑漬け」を、結婚を機に畑で暮らし始めて以来60年以上もつくり続けてきたという澤井さん。しかし彼女は「私はあまり美味しいと思わないけどなあ」とおどけます。そんな澤井さんの飾らない姿勢や、「畑漬け」の魅力に惹かれて、不思議な縁が次々と生まれています。

一期一会の出会い。
そのすべてを大切に。

澤井さんの住まいは、料理づくりや食事を楽しめる「体験型民宿」として、コロナ禍以前は国内外から多くの人が訪れたと言います。この日も、「畑漬け」や棚田で収穫したお米でつくったおにぎりなど、さまざまな料理とともに出迎えてくれました。「こんな何もないところに、はるばる来てくれた人には、喜んで帰ってほしいから」と澤井さんは笑います。

「中国やタイ、モンゴル、アメリカ、ブラジル、オーストリア、オランダ、イスラエル……その他にも、世界各国の人が来てくれたんですよ」と、一つひとつの出会いについて本当に嬉しそうに話す澤井さん。部屋の奥に置かれていた地球儀には、来訪者の出身国がある箇所に、国名と人数が書かれた付箋が貼られていました。その他にも、海外から訪れた人と撮った写真や手紙も、大切に飾られています。さまざまな人との出会いが、澤井さんの日々の豊かさをつくってきたのかもしれません。

「そんなおばあちゃんが、日頃から大切にしていることは何ですか?」

そう言って菜月さんが取り出したのは、ドミニク・チェンさん、渡邊淳司さんとの対談でも使用した「わたしたちのウェルビーイングカード」。澤井さんはカードに書かれた32種類の言葉を興味深そうに、そして丁寧に見ながら、やがてカードを3枚選び取ります。
そこに書かれていた言葉は、「縁」「日常」「感謝」でした。

今日を大切に生きる。
それが、いちばんの幸せ。

「選んだ3枚の言葉、すごくおばあちゃんらしさがある」と頷く菜月さん。まずは「縁」を選んだ理由を聞いてみます。

「すべての物事は、縁があって始まったと思うんです。なっちゃんと出会ったのも、国内外からいろんな人が来てくれたのも、縁。いろんな縁があって、つながりや出会いが生まれたおかげで、今日もこうしていられるから」

そう話す澤井さんの視線の先には、これまで出会ってきた人たちの姿が浮かんでいるようでした。

「次に選んだのは『日常』。おばあちゃんが考える『日常』について教えてください」
「この歳になると、からだのあちこちが悪くなってくるの。でも、だからといって、からだを動かさないとますます悪化する。だから、自分ができる範囲のことはしっかりやろう。『日常』を選んだのは、そんな想いがあったから」

普段は室内の掃除や草むしり、読書をして過ごしているという澤井さん。毎日の食事も、今の自分のからだに合ったものをつくって食べていると言います。

「自分のからだの状態と向き合いながら、やることはきちんとやる。それが、おばあちゃんが大切にしている『日常』なんだね」

そして、話題は3枚目の「感謝」へと移ります。

「『感謝』は一言では言い切れないけど、今があるのは、本当にいろんな人のおかげで……」そこまで話した澤井さんの目には、うっすらと涙が浮かんでいました。

「私はいつも強がっているけれど、弱気になることもあって。そんなときも、いろんな人がいたから乗り越えられた。本当に、すべての人に感謝。こうして会いに来てくれる人にも。体調を気遣ってくれる人にも。ありがとうの気持ちでいっぱいです」

澤井さんの言葉を聞いて、菜月さんも感謝を伝えます。

「私もおばあちゃんとの縁にすごく感謝しています。『縁』と『日常』と『感謝』。この3つを大切にしてきたおばあちゃんだから、私は好きになったし、生き方がとても素敵だな、と感じたんだと思う」

澤井さんは最後に、「1日1日を大切に生きる。今日が良かったら、それは幸せなんです」と話してくれました。
「縁」と「感謝」を大切にしながら、「日常」を精一杯生きる。澤井さんの言葉や生き方には、ウェルビーイングを考えるうえで大切なことが、たくさん含まれていました。