LIFESTYLE食材と触れ合い、感性をアップデートする。
「Art on Toast」という習慣
May 16, 2023

日々の活動や、変化する社会への対応に追われる中で、心にゆとりを持てなくなった経験のある人は多いのではないでしょうか。しかし、そんなときだからこそ一度立ち止まって、身近なものと向き合う時間が必要なのかもしれません。今回お話を伺ったSASAMANAさんがコロナ禍の中で始めた「Art on Toast」の習慣には、自分らしさを取り戻し、毎日を豊かに生きていくためのヒントがたくさん詰まっていました。

SASAMANA
武蔵野美術大学卒業後、アーティスト、デザイナーとして活動。コロナ禍をきっかけにはじめた朝食習慣をインスタレーションにした「Art on Toast」をはじめ、「日常をみつめる、世界ととけあう、今を生きる」をテーマにアート活動に取り組んでいる。

コロナ禍の最中に始めた新習慣で、
生活のリズムを取り戻した。

新型コロナウイルスの脅威にさらされた2020年。世界中の人々が、これまでの日常との決別を迫られました。SASAMANAさんも、「当時は精神的にかなり参ってしまいました」と振り返ります。

「昔から出かけることが大好きでしたし、アーティストやデザイナーとして活動するうえで、さまざまな場所に足を運ぶことは感受性を磨くうえで大切にしていたんです。だからコロナによって不要不急の外出が制限された時期は、まるで世界から取り残されてしまったような感覚に陥ってしまいました」

誰もが密を避けるための行動を余儀なくされ、SASAMANAさんもほとんどの時間を自宅で過ごしていたそうです。閉ざされた日々が続く中、日用品を買いに出かけたスーパーマーケットの青果コーナーで、思わず足を止めてしまったと言います。

「もともと自然のものは好きだったんですが、その日は青果コーナーに並ぶ果物や野菜がなぜかとても気になってしまい、じっくりと観察してみたんです。すると、静かな息遣いのようなものが感じられた気がして、すごく興味が湧いてきました。そこでそれらを買って帰り、小さい頃からずっと朝食として親しんできたトーストと組み合わせて、青果物が生まれながらに持つ魅力を引き出してみようと考えたんです」

こうしてスタートしたのが、食材の魅力をトーストの上で表現する「Art on Toast」と呼ばれる習慣。コロナ禍における自身の日常としてSNSに投稿したところ、著名人のSNSや国内外のメディアに取り上げられたり、「実際にトーストをつくってみました」というメッセージが届いたりと、大きな反響があったと言います。「朝の時間に新しい習慣ができたことで生活のリズムが整いましたし、自分の感性が日々アップデートされることで世界とつながっているという感覚を取り戻すことができました」とSASAMANAさんは話してくれました。

ブルーベリーとディルを使い、空気の動きを表現したという「PLANTING toast」

食材と向き合うたびに発見がある。
自分の感性がアップデートされる。

環境に変化があったときや、忙しいときは、心にゆとりを持つことは難しいものです。SASAMANAさんも「余裕がないときはたくさんありました」と自身の過去を振り返りながら、「だからこそ『Art on Toast』を始めてよかった」と話します。

「『Art on Toast』は朝の習慣として始めたのですが、『朝』という外界と接する前のひとときは、純粋な自分の状態でいられる、とても豊かな時間なのだと実感しました。自分のためだけに時間を使うことができますし、こうした習慣が自分らしさを大切にすることにつながっていくように思います」

純粋でいられる時間の中で、目の前の野菜や果物を観察していると、いつも新しい発見があって面白いとSASAMANAさんは続けます。

「たとえば切ったことのない角度から果物にナイフを入れると、種のつき方や繊維の入り方がいつもと違って見えます。野菜や果物の『生き物』としての姿に触れるたび、自分自身の感性が徐々にひらかれていく感覚になります」

取材中、食物を切る様子を見せてくれるSASAMANAさん。一つひとつの断面にも個性が表れている。

SASAMANAさんは「Art on Toast」をつくる際、「食材のありのままの姿を映す」ことを大切にしていると言います。

「たとえばペースト状にしてしまうと、そのものが本来持っていたボリューム感やハリといった個性が失われてしまうと感じます。だから私は、自分の五感を通じて発見した本来の魅力をしっかりと残したまま、トーストの上で再構築することを心がけてきました。過去につくった『UKIYOE toast』は、紫キャベツの縁の美しい曲線が、和服の布の流れに似ているという気づきから生まれたトーストです」

紫キャベツを和服に見立ててつくった「UKIYOE toast」。

また「焼く工程が入ることが、トーストの面白い点です」とSASAMANAさんは続けます。「焼くことによって、食材の色や形、そして香りも変化し、新たな一面を見せてくれます。焼く前の状態から想像できなかった姿に驚かされることは多いです」と楽しそうに話す姿が印象的でした。

「KINGYO toast」の焼く前(左)と焼いた後(右)の比較。食物の色や形に変化があることが分かる。

こうした過程を経て生まれる「Art on Toast」は、食べることでアートとして完成するのだとSASAMANAさんは話します。

「もちろん味わいや見た目の美しさも大切にしていますが、つくることが目的ではありません。果物や野菜と向き合う中で見つけた魅力を自分の中に取り入れることで、自分の感性をアップデートしていく。形としてはなくなっても、私の中で残り続ける。それが『Art on Toast』なんです」

「センス・オブ・ワンダー」を大切に。

自分自身の感性をアップデートしていくことを、昔から大切にしてきたというSASAMANAさん。こうした思考や行動はどのようにして身についていったのか尋ねました。

「生物学者として活動されていたレイチェル・カーソンさんの『センス・オブ・ワンダー』という言葉が、とても好きなんです。『センス・オブ・ワンダー』は、自然と対峙したときの感性のゆらめきや、神秘さや不思議さを感じ取る心のことを指すのですが、こうした心は無意識に形成されてしまった先入観、あるいは日常の忙しさの中で、少しずつ忘れられてしまうように感じています。私は自分自身の『センス・オブ・ワンダー』を研ぎ澄ませるために、これまで活動を続けてきました」

先入観や固定観念によって「センス・オブ・ワンダー」が失われることで、自分の感性が閉ざされてしまうのではないか、とSASAMANAさんは懸念を口にします。

「なので、私がつくった『Art on Toast』を見た人たちから『食材の知らない魅力を見た気がした』『こんなにキレイだったんだ』と言ってもらえたときは、その人の『センス・オブ・ワンダー』を解放できたような気がして、とても嬉しかったんです。アートは『自分とは別世界のものだ』と捉えている人もいらっしゃると思いますが、『Art on Toast』は食材という身近なものを使っているので、国籍や年齢を問わず幅広い人の目にとまったのではないかと思います」

SASAMANAさんは、「Art on Toast」をつくるワークショップを不定期で開催しており、参加者の反応を見ることも嬉しいと続けます。

「ワークショップは、一人ひとりの感性で食材を観察することで、まったく異なるトーストができあがるのがとても面白いんです。普段は食べる量が少ないと聞いていた子どもが、たくさんトーストをつくり、完食することもありました。それは食材を別の角度から見るという新しい経験によって、好奇心や食欲が刺激されたのではないかと思います。また、親子向けのワークショップでは、最初は子どもを見守っていた親が、いつしか自分のトーストづくりに夢中になっているというシーンもありました。忙しい日常を過ごされる方には、食材と向き合う時間が、時間感覚を心地よく刻み直すきっかけになると感じています」

SASAMANAさんは最後に、「『Art on Toast』は、私自身が青果物という『生き物』や世界とつながるために始めた習慣です。ありがたいことに、今ではたくさんの方にこの習慣を見守っていただいています。スーパーマーケットの青果物に目を奪われたり、ナイフを入れた断面に心が弾んだりと、みなさんの日常にある感性の扉をノックするきっかけになれば嬉しいです」と話してくれました。

目の前にあるものをじっくりと観察し、自身の感性をアップデートしていくことは、毎日を心豊かに過ごすうえでとても大切なことだと、SASAMANAさんの話を通じて気付かされました。心に余裕がないと感じたときこそ、ふと立ち止まって、自分のための時間をつくってみてはいかがでしょうか。