LIFESTYLE二拠点生活を通じて見つめ直した
地域の魅力と人とのつながり方
May 14, 2024

ライフスタイルの多様化やリモートワークの普及に合わせて、複数の地域に拠点を構える「二拠点生活」や「多拠点生活」が注目されるようになりました。「いつかは始めてみたい」と考えている方や、実際に満喫している方もいるのではないでしょうか。今回取材に応じてくれたのは、東京と長野で二拠点生活を送っている音楽プロデューサーの樋口太陽さん。二拠点生活を始めたきっかけや、二拠点生活を通じて得られた気づきや価値など、さまざまな視点からお話を伺いました。

樋口 太陽 Taiyo Higuchi
OFFICE HIGUCHI代表取締役/音楽プロデューサー。TVCMなど、広告案件の楽曲を中心に、さまざまな音楽の制作に携わる。現在は東京都四谷にある事務所と長野県原村の住まいを行き来する生活を送っている。

二拠点生活が現実的な選択肢として現れた。

長野県原村。八ヶ岳の裾野、標高1000mほどに位置する高原の村であり、軽井沢と並んで日本有数の別荘地としても知られています。「妻と『避暑地に別荘があると人に言うとウケそうだよね』と軽い気持ちで話していて、なんとなく別荘を探すところから始まったんですよ」と、樋口さんは二拠点生活のきっかけを話してくれました。

数ある地域の中で原村を選んだのは、以前この地で開催されたイベントに参加したときに「とてもすてきな場所だった」と印象に残ったからだと言います。「そのときは真夏だったのですが、肌寒くてエアコンが不要なほどに涼しくて、自然もとても豊かで、都心とはまるで空気が違うと感じたんです。東京からわずか2時間ほどの距離なのに、別世界を訪れたような感覚でした」と樋口さんは振り返ります。

二拠点生活を後押しした出会いもありました。「仕事を通じて知り合った方が『長野に拠点を置きながら東京で仕事をしている』という話をされていて、二拠点生活は現実的な選択肢としてあり得ると感じたんです。また当時は今ほど二拠点生活が社会的に浸透していなかったため、『東京で働いているのに長野に住んでいる』というユニークな個性を持つことは、自分のことを覚えてもらううえで有利になるのでは、という期待もありましたね」

広さを活かして「人を呼べる家」をつくる。

こうした経緯から原村の土地を購入した樋口さん。当時は東京に家を借りていたこともあり、小さな家を建ててコストを抑えるという選択肢もあったと振り返ります。しかし土地の広さを活かしたいという想いや、「家を建てる」という人生の一大イベントを前にして「妥協するのはやめよう」と決心。建築や住まい、設備に関するさまざまな資料を見ながら、理想のイメージをつくり上げていったと言います。

「まず第一に、『人を呼べる家』にしたいと思いました。この辺りは住民同士で交流できる場所が少ないため、お互いの家に招待し合うという習慣が根付いていたからです。そのため、広いリビングで薪ストーブを囲いながら談笑できるような空間設計を意識しました。近隣の方たちだけではなく、東京から泊まりがけで遊びに来てくれる友人もいるので、広さにこだわったのは正解だと感じています」

広さにこだわったことで、収納に関する悩みも解決したと言います。「キャラクターグッズをコレクションする趣味があるのですが、東京の家では飾るスペースがなく物置に保管することしかできませんでした。この家では至るところに飾ることができるため、好きなものに囲まれた暮らしを楽しむことができています」と話す樋口さん。生活空間にゆとりを持たせることや趣味を楽しむことができるのも、二拠点生活ならではの魅力と言えるかもしれません。

住まいの一画には音楽スタジオもあります。「もちろんレコーディングなどで東京のスタジオに行くこともありますが、ほとんどの作業は原村の自宅スタジオで完結させることができます。テクノロジーの進化によってリアルタイムで音楽制作の細かな調整もできますし、遠く離れたクライアントとのオンラインミーティングが当たり前になったことも、今の生活を後押ししてくれていると感じます。また、都会と比べて近隣住宅との距離に十分なゆとりがあるため、音を鳴らしても迷惑がかからないという安心感もありますね」

都会と田舎、それぞれの「いいところ」に目を向ける。

2017年から二拠点生活を始め、2023年からは原村に軸足を置いた生活を始めたと話す樋口さん。東京と長野を行き来するようになったことで「その地域特有の魅力が、よりはっきりと感じられるようになりました」と話してくれました。

「国民性かもしれませんが、日本人の多くは自分の住んでいる地域のことを謙遜して話すように思うんです。都会で暮らす人は『人が多くてごちゃごちゃしている』と言ったり、田舎住まいの人は『何もない』と言ったり、いいところよりも不満に思っていることに注目してしまう。私も以前はそうだったかもしれません。でも、二拠点生活を始めたことによって、それぞれの地域のいいところと素直に向き合えるようになりました」

人や建物、情報などが溢れかえっている都会にいるからこそ、田舎ならではの豊かな自然やゆとりが恋しくなる。不便さの残る田舎で過ごしているからこそ、都会にあるさまざまな施設や観光地に足を運びたくなる。こうした生活を繰り返す中で、都会と田舎、それぞれの良さを客観的に見つめることができるようになり、各地域で過ごす時間をより満喫できるようになったと樋口さんは話します。

また、人とのつながり方についても変化があったと教えてくれました。

「東京で暮らしている頃は、都内近郊に住んでいる人とは『いつでも会える』と捉えてしまい、結局なかなか会わないということが多かったんです。でも、長野中心の生活を始めて東京で過ごす時間が減ったことで、上京中の限られた時間の中で本当に会いたいと思える人のことを強く意識するようになりましたし、友人も積極的に誘ってくれるようになりました。物理的な距離が離れたことで、結果として大切な人との距離が縮まったのは面白いと感じています」

原村での暮らしを通じても、人間関係に関する学びや気づきがたくさんあったと言います。

「『困ったことはすぐ近くにいる人に相談する』という大切さを、改めて学びましたね。この場所は買い物をできるお店が近くにありません。そのため、たとえば調味料を切らしてしまったとき、買いに行くだけでかなりの手間がかかるんんです。そんなときは、お隣の方のチャイムを鳴らして調味料をわけてもらったりもします。徒歩圏内にスーパーやコンビニがある都会では考えられないことでした。不便なことがあるからこそ協力し合う必要性を再認識できましたし、困っていることを素直に発信すると助けてくれる人がいるのだと実感できましたね」

自分たちの夢が地域の力になっていく。

2023年から原村中心の生活にシフトした理由について、樋口さんは「子どもが小学校に上がるタイミングでしたし、この原村で本腰を入れて取り組みたい夢とも言えるような新事業もあったんです」と話してくれました。

その夢というのが、樋口さん夫婦が原村につくったボードゲーム施設『GAW(ガウ)』の運営です。樋口さんのパートナーである千尋さんは、アナログゲームを活用した企業研修を企画・主催するアナログゲームマスターとして活躍されており、GAWはその研修を行う場所としてオープンしました。また、企業研修だけではなく、子ども向けのイベントや自治体とのコラボレーション企画も実施していく予定だと言います。

「先ほどお話ししたとおり、この辺りには地域住民同士で交流できる場所が少ないという課題があります。GAWを活用してさまざまな企画やイベントを実施することで、地域住民同士はもちろん、他の地域から訪れた人との交流が盛んになるのではと期待しています。また、施設運営には人の力に頼る必要があるため、雇用を生み出すことにもつながると考えています。この事業は私たち夫婦の夢ですが、自治体や近隣の方たちも熱心に応援してくれているので、ありがたい気持ちでいっぱいです。都心でこの規模の施設をつくることのハードルや、地域活性化につながっていく期待感を考えると、思い切って二拠点生活を始めてよかったと感じます」

二拠点生活のスタイルや理想像は千差万別。住まいのつくり方や住む地域によっても、暮らし方や得られる体験はまったく異なるものになるはずです。それでも樋口さんの言葉にあった「それぞれの地域のいいところと向き合うこと」や「人との距離感の考え方」は、二拠点生活をより良いものにしていくうえで重要な視点になるのではないでしょうか。