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「学びを探求しよう」第5回 老いを擬似体験して考える、「自分らしい老いって?」

#学ぶ #Well-being
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みなさんは「老い」は何歳からはじまるものだと思いますか?人生100年時代と言われる昨今、年齢の捉え方に大きな変化が生まれていますが、できることなら歳を取りたくない……と、老いに対してネガティブな考えを持ってしまう人も少なくないはず。連載企画「学びを探求しよう」の第5回目となる本記事では、そんな老いにまつわるイメージを払拭し、楽しみながら老化現象について学ぶ機会を提供している日本科学未来館の常設展「老いパーク」を取材しました。
キャッチーでインパクトのある名前が魅力の本展では、さまざまなゲームコンテンツで老いを擬似体験することができ、展示を通して「自分らしい老い」について考えるきっかけを与えてくれます。ディレクターを務めた日本科学未来館の坂下実千子さんと、クリエイティブディレクターとして企画・設計・制作を務めたクリエイティブスタジオ「Whatever」の川村真司さんに、本展示が生まれるまでのストーリーをお話しいただきました。

 

日本科学未来館 科学コミュニケーション室 坂下実千子

日本科学未来館 科学コミュニケーション室 坂下実千子

出版社にて雑誌・書籍の編集や展覧会の企画制作を経て未来館へ。「リアル脱出ゲーム×日本科学未来館『人類滅亡からの脱出』」、特別展「動画クリエイター展」などを担当したのち、「老いパーク」から常設展示の企画・開発に携わる。直近では常設展示「Geo-Scope」のリニューアルやオンラインコンテンツ「Geo-Online」を手がける。
Whatever チーフクリエイティブディレクター 川村真司

Whatever チーフクリエイティブディレクター 川村真司

世界各国のエージェンシーでCDを歴任後、2018年Whateverをスタート。グローバルブランドのキャンペーン、プロダクトデザイン、MVなど活動は多岐に渡る。Creativity「世界のクリエイター50人」、Fast Company「ビジネス界で最もクリエイティブな100人」に選出。

老いはあくまで自然現象。「老いパーク」の名前に込められた覚悟



「あなたとともに『未来』をつくるプラットフォーム」をビジョンに掲げる日本科学未来館。最新のサイエンスやテクノロジーなどを切り口に、展示やイベントなどを通じてさまざまな「未来」のあり方を提示している同館が、なぜ「老い」をテーマとする展示を制作したのか。その背景には、2021年に館長に就任した浅川智恵子さんの思いがあったと坂下さんが解説します。

「私たちは日々、科学技術に関する幅広いリサーチを実施しているため、あらゆることが展示の題材になりますが、超高齢社会を迎えた日本においては、『老い』はぴったりのテーマなのではないかという浅川の考えがあったんです。展示制作にあたっては、『展示体験が未来の社会課題を自分ごととして捉え、考える第一歩になる』ことを全体の目標として掲げており、誰にでも訪れる老いをテーマにすることで、そのきっかけのひとつとなる展示にできるのではないかと考えました」



老いは決して避けては通れないものであり、誰もが美しく年齢を重ねていきたいと思うものですが、体力の衰えや身体の変化など、訪れてほしくない「未来」として考えてしまう人も少なくないはず。そんな老いに対するネガティブな印象を変えるべく、日本科学未来館では展示を制作するにあたり、老いをポジティブに向き合えるようになることを大きな方向性として設定したといいます。コンペを通じて制作パートナーとして本プロジェクトに参加したWhateverの川村さんが、本テーマへの第一印象を語ります。

「日本科学未来館はずっと大好きなミュージアムだったので、ぜひ参加したいなと手を上げさせてもらいました。老いをテーマにした展示は世界的に珍しく、それにはいくつか理由があると思うんですが、やっぱり老いって、誰もがあまり自覚したくないものですよね。その点、この展示はそもそも老いるとはどういうことなのかを科学的に捉え、自分ごととしてポジティブに学ぶことを目指しているので、チャレンジングではあるものの、実現できたとしたら素晴らしいものになりそうだなと感じていました」



Whateverといえば、NHK Eテレ「テクネ 映像の教室」や「らくがきAR」アプリなど、学びの要素と同時にクリエイティブなアイデアが際立つ仕事で知られています。中でも共通するのは、思わずクスッとしてしまうようなユーモアの感覚があること。そのセンスは老いパークでもいかんなく発揮されており、それは最初の提案時から共通しているようです。

「僕らが担当させていただくのであれば、やっぱりエンターテインメント性のある体験にしたいなという思いがありました。老いに関する科学的なファクトに基づいたメッセージを伝えるだけではなく、体験を楽しんでいるうちに、気づけば老いについて理解できてしまうような、そんな展示にできたら最高だなと考え、展示のアイデアを絞り込んでいきました」



そういった本展の挑戦が感じられる最大の特徴としてあげられるのが、なにより「老いパーク」というタイトルです。一際キャッチーなこの展示名の意図を川村さんが語ります。

「打ち合わせを重ねる中で、このくらい振り切った名前にしたほうがいいのではないでしょうかと、提案させていただきました。これまでの『老い』という言葉のイメージとは異なる「パーク」という言葉を組み合わせることで、良い違和感と楽しい雰囲気を醸成できるのではないかと考えたんです」

いまとなっては、これ以外には考えられないほどユニークで魅力的な展示名ですが、本決定に至るまでには並々ならぬ覚悟があったそうです。坂下さんが当時の様子を振り返ります。

「ご提案いただいて以来、特に気に入っていた名前だったのですが、実際に決めるまでにはそれなりに緊張感がありましたね。どう受け取られるのかという不安もありましたし、もっとメッセージ性のある名前の方がいいのではないかといった意見や、どこかふざけているような印象を抱かれるのではないかと、館内の他のチームからさまざまな声もあったんです。

それでも最終的にこれで行こうと決断できたのは、もしこの名前を避けたら、つくり手である私たち自身が老いをネガティブに捉えている、ということになってしまうのではないかと考えたからです。この展示では、本来老いはネガティブでもポジティブでもなく、あくまで自然現象であることを表現したいという意図がありました。この名前に決めたことで、仮にこの名前の理由について問い合わせを受けたとしても、そういった自分たちの姿勢をちゃんと伝えようと覚悟ができたんです」



幸いにもそんな坂下さんたちの不安は杞憂に終わり、連日多くの来館者で賑わう大人気の展示となった老いパークには、現在にいたるまでネガティブな声が寄せられたことはほとんどないそうです。取材の場でそのことをはじめて聞いたという川村さんは、「そうなんですね!ほっとしました」と安堵の表情を浮かべます。

老いを楽しく擬似体験できる、Whatever流のユーモアとアイデア

日本科学未来館には、小さな子どもから大人まで、幅広い年齢層と国籍の来館者が訪れていますが、まだ老いへの実感がない年齢の方でも楽しめる展示に仕上げるため、アイデアのコアとなったのが「老いを擬似体験する」という本展示のコンセプトでした。川村さんはこのコンセプトを軸に、展示のアイデアを構築していったと語ります。

「ただ老いについての知識を解説するだけの展示では、若い来館者にとってはまだ先のことすぎて自分には関係がないと思われてしまいますし、逆に年齢を重ねている方にとっては、自らが老いていることをリマインドされている感じがして、楽しめない展示になってしまいます。そこですべての人が等しく楽しむことができ、かつ老いについて学ぶことができる展示にするには、遊んでいるうちに老いの擬似体験ができるような、ゲーム性を持たせた方がいいのではないかと考えたんです」

展示の大きな方向性が決まってからは、まさに1000本ノック状態で企画会議を重ねたというお二人。日本科学未来館の展示として仕上げるためには、科学的な正確性も欠かせません。未来館の科学コミュニケーターが調査した研究論文などをエビデンスとして参照しながら、いかに老化現象を実態に沿って再現するのか、繰り返し検討が重ねられたといいます。中には科学的妥当性の観点から、泣く泣くお蔵入りとなったアイデアもあったそうです。

完成した老いパークでは、目・耳・運動器・脳の老化現象を擬似体験できる展示を楽しむことができます。例えば「サトウの達人」は、老化による子音の聞き分けにくさを体験するために、「サトウ」「カトウ」「アトウ」の中から「サトウ」を聞き分けるゲームです。病院の待合室をシミュレートしたゲームを通じて、体験者は「サトウさーん!」と呼ばれた時に挙手ボタンを押し、まさに「サトウの達人」を目指します。ほかにも、老化による筋力低下や姿勢の変化の疑似体験として近所のスーパーに買い物へ出かける「スーパーへGO!」や、喜び以外の相手の表情が読み取りにくくなる現象を写真プリント機で再現する「笑って怒ってハイチーズ!」など、老化現象が日々の暮らしにどのように影響を与えるのか、Whatever流のユーモアたっぷりの表現で体験コンテンツ化されています。







「体験をデザインする際、こういったちょっとした遊び心はとても大事なんです。『サトウの達人』って、なんだよそれ!と思われるかもしれませんが(笑)、それで気になって実際にやってみると、ちゃんと耳の老化について学ぶことができるんです」と川村さん。そんなWhateverのアイデアには、坂下さんも驚かされることばかりだったそうです。なかでもとりわけ大きなインパクトがあったと語るのは、パークの入り口に設置された「老いパークガイド」。一見普通のパンフレットかと思い、何気なく手に取ってみると、絵や文字がすべてぼやけて見える…!老眼とはどういう症状なのかを一瞬で理解できるこのアイデアに、「ご提案を聞き終わった時には思わず『天才…!』と唸ってしまいました」と坂下さんが太鼓判を押します。


入口で配布されている「老いパークガイド」。老眼を体験できるよう敢えてぼやけた文字で印刷されており、裏面の解説と合わせて老眼の仕組みについて学ぶことができる。

 

老いを知ることで優しくなれる

CMやドラマなどの映像作品において、耳の遠いご高齢の方に大きな声で話しかけるシーンを時折見かけますが、「サトウの達人」で再現されているように、老化による聞こえ方の変化は、高音域の子音の聞き分けにくさが症状として現れます。実際に「サトウの達人」を体験した来館者からは、「耳の遠い方に、ただ大きな声で話せばいいものではないんだなと、誤解が解けました」といったコメントが寄せられることも。「話し方を工夫することで伝わりやすさが変わることを、短い体験時間を通して理解していただくきっかけになったんじゃないかと思います」と坂下さんが展示の手応えを語ります。

他者への共感=エンパシーを表現する言葉として、「他者の靴を履く」という言い回しがありますが、老いの疑似体験ができる老いパークは、まさに自分とは異なる他者が、日々どのような暮らしを送っているのかを想像するきっかけを提供しているのではないでしょうか。坂下さんは未来館に訪れる方々の中に、年齢の違いを超えたコミュニケーションが生まれる瞬間を目にすることもあるそうです。

「お孫さんと来られているご高齢の方が、『そうそう、私は毎日こんなふうに感じているんだよ』とご自身の視点からお話ししていて、お孫さんがそれに共感を寄せている様子が見られたのがとても嬉しかったですね。展示の感想としても、『もっと人に優しく接することができるようになりたい』といったコミュニケーションに関するコメントが多く、展示を通じて気持ちの変化を感じていただけているのではないかと思います」

超高齢社会にある日本において、老いの症状を感じずに過ごす人の割合は今後さらに減っていきます。その時、それぞれの老いのあり方と、それに伴う暮らしの変化を想像する力を身につけることは、まさにこの展示が目指している、未来の社会課題を自分ごととして捉える第一歩になるはずです。

老いることはすなわち生きることそのもの

誰にとっても無関係ではいられない、老いをテーマに扱うにあたり、坂下さん、川村さんをはじめとするプロジェクトメンバーのみなさんも、ご自身と老いの関係について向き合わざるを得なかったのではないでしょうか。プロジェクトに打ち込んだ制作期間を川村さんが振り返ります。

「僕はいま40代の半ばなんですが、40代になってからガクンと体力が落ちて、まさにリアルタイムで老いを感じながらこのプロジェクトに携わらせていただきました。その分、老いを他人事とせずに、日常の延長線上にある、地続きのものだと感じられるような体験にしたいという思いがあったんです。自分が老いを体験している身だからこその視点は、展示をつくる中でも活かされていると思います」



老いパークの展示は「自分らしい老いって?」という印象的な投げかけで締めくくられます。さまざまな年代の方々が登場するイメージ映像では、すでに20代を老いのはじまりと感じる方もいれば、元気いっぱいの様子を見せる方のご高齢の方の姿も。老いとの向き合い方は十人十色であることが感じられるこの映像を見ると、「自分にとっての老いとは何だろう」と思わず考えてしまいます。


常設展示「老いパーク」イメージ映像はこちら

展示のラストの映像には、老いをポジティブに捉える表現を探求してきた本プロジェクトの締めくくりに相応しいメッセージが込められています。制作の思いを川村さんが語りました。

「考える余地を与えられるようなコンテンツで締めくくりたいなと思ったんです。実際に年齢を重ねている方の声からは、長く生きてこられたからこその叡智に触れることができますし、『まだまだこれから!』といった元気な方の姿を見ることで、こんなふうに老いていきたいなと、ある種の道しるべになるような映像にできたんじゃないかなと。老いはいつか来るものではなく、まさに現在もその過程にいんだということに気づくことで、もっと頑張って毎日を生きようって思えるかもしれないし、老いに向けての備え方も変わってくるかもしれない。来場者には、そんなポジティブな気持ちになって帰ってもらいたいですね」

最後に、展示制作を通じて感じたお二人にとっての「自分らしい老い」について伺いました。坂下さんは、老いに向き合うことで「自分らしさ」についての考え方に変化があったといいます。

「これまで自分らしさというのは、変わらずに一貫したものとして維持していくものだとぼんやりイメージしていたんですが、老いによって身体が変化することが当然なのであれば、自分らしさのあり方も変わっていくだろうし、かならずしもひとつではなくていいと思うようになりました。自分やまわりの変化に合わせて自分らしさも変化させていくことで、老いを楽しめるようになるのではないかと感じています」

同じく川村さんも、老いへの向き合い方にポジティブな変化があったようです。

「老いを恐れすぎてもしょうがないですし、不安に思って過ごしている時間がもったいないなと思うようになりましたね。なので、僕は1周回って、あまり老いについて考えすぎず、流れのまま老いていきたいなと思っています。もうすでに老いははじまっているわけなので、あらためて区切り直すのではなく、できるだけ慌てずに自然に年齢を重ねていきたいですね。展示をつくりながら、多少気が楽になった気がします」

つい目を背けてしまいがちな老いの奥深さについて考えさせられた本取材。老いパークガイドの中には、本展示の総合監修を務める国立長寿医療研究センターの荒井秀典さんのこんな言葉が記されています。「老いることはすなわち生きることそのもの」。老いに向き合うことは、日々の暮らしや生き方を見直すきっかけになるのかもしれません。

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